それは既に失われている。
家裁で何度も言われた。
子供には父親も必要。
それって一般論ですよね?
私はこの紛争の当事者です。
この紛争の内容に、その一般論が当てはまると言えるのか?
私はそんな風に思えない。
私がそう考える根拠もずっと話してきたけれど、全部無視された。
調査官も調停員も、ロボットのように一般論を繰り返すだけ。
コドモニハチチオヤガ
チチオヤトノコウリュウガ
ヒツヨウ
メンカイコウリュウデキナイノナラ
デキナイショウメイスルタメニ
カサイデシコウメンセツヲシナサイ。
そんな実験に子供を巻き込まなければいけないんですか?
出来ない証明って何なんですか?
証明も何も子供はまだ小さくて何も知らない。
「小さいうちに交流始めた方が、(父親を)受け入れやすいのだから…。」
そりゃそうです。小さいほど子供は無条件に親を受け入れるに決まっています。
父親の裏の顔なんて、知る由もありません。
だからこそ、その後の困難が増す事を、私は経験から知っています。
「嘘でも優しい父親との交流体験があった方が幸せ」だと考える人も少なくはないだろうと思います。
でもそうでない、そうは到底思えない人も少なくない数、存在する筈だと思います。
何故なら、その子供が成長した時、又は成長過程で、親の本性を知るからです。
親は自分を愛していると思っていたが違った。自分を利用し、物のように扱い、執着し、飽きたら捨てる、又は自分になびかなかったら罵倒し捨てる、そういう体験をした時に傷つくのは子供です。
その傷つき、絶望すら子供の成長に必要なものかもしれません。
ただ、そういう一連の出来事を、「強制された交流」として体験しなければならないのは何故でしょう?
私は父と子を「断絶」させようなどと思っていません。
むしろちゃんと子供が自立するまで、養育費という義務的な名目など関係なく、金銭的支援という形の繋がりを責任もって継続して貰いたいと切実に願っています。
いつか子供がある程度の成長をもって、父親に会ってみるというのは必要な事だと思っています。
でもそれを、「定期的で」「密接な」「肯定的なもの」にするべく、同居親である母親が了承し仲介しなければならない、父親が望む限り、例え子供が嫌がっても継続の努力をし続けなければならない、そう強制される事は異常だとしか思えない。
少なくとも私は家裁で面会交流を強制され続けた。
そして自分がそんな目に遭って初めて同じ様に家裁で酷い扱いを受けてきた母親達がいると知った。
もしこれが死別だったら、「たとえどんな父親であろうと」文字通り面会は叶わない。
DVモラハラ離婚後の、被害の継続の不安が在る交流に於いて、
「家裁の推奨する一般論の『理想的な面会交流』が出来る父親」は既に存在していない。
安心して会える相手ではないから逃げたのだ。
追ってくるから逃げ続けているのだ。
死別ではないだけで、
私達母子にとっての「安全に交流出来る父親」は既に失われているのだ。
勿論、それは母親の別居や離婚の判断時や、成立や、面会交流に不安や拒否感を抱いている事が原因ではない。
そもそもの加害側の言動によって引き起こされた事なのだ。
事件は家裁じゃない、家庭内で起こっているんだ!